
アレキサンダー・マックイーン
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あれきさんだー・まっくいーん Alexander McQueen | |
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生誕 | 1969年3月17日![]() |
死没 | 2010年2月11日(満40歳没)![]() |
職業 | ファッションデザイナー |
リー・アレキサンダー・マックイーン CBE(Lee Alexander McQUEEN、1969年3月17日 - 2010年2月11日[1])は、イギリスの男性ファッションデザイナー。型にはまらないデザインと衝撃を与える手法で知られていた[2]。マックイーンの劇的なデザインは多くの重要な賞賛を受け、ブリティッシュ・デザイナー・オブ・ザ・イヤーを4回受賞している。
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人物・来歴 [編集]
1969年3月17日、英国の首都ロンドン郊外ルイシャム地区に6人兄弟の末っ子として生まれる。
16歳で学校を辞め、サヴィル・ローのテーラーにアシスタントとして雇われる。その後イタリアのロメオ・ジリのアトリエで働いた後、再びロンドンに戻ってセントラル・セント・マーチンズに入学。1991年、セントラル・セント・マーチンズの卒業コレクションの時に、「ヴォーグ」のエディターの目に留まったことがきっかけでデビューが決定。[3]1996年にロンドンコレクションに参加。同じ年ジバンシーのデザイナーに抜擢されるが、2000年12月、「マックイーン社」株の51%をグッチグループに売却。自身のブランドでグッチについたため、LVMHの傘下にあるジバンシー社と仲違い。2001年10月の契約期限完了とともに、デザイナーを更迭(こうてつ)された。
自身のブランドのファーストラインの他にカジュアルラインの「マックキュー(McQ)」に加え、プーマとのコラボレーションでスニーカーのデザインも行っていた。
ケイト・モスは良き友人として知られ、彼女が薬物スキャンダルで批判されていた時も擁護していた有名人の1人である。モスを励ます目的で、スキャンダル発覚直後の06年春夏コレクションのフィナーレで「We Love You Kate」とプリントされたTシャツを着てランウェイに登場した[4]。翌シーズンの秋冬コレクションではホログラム映像でモスを登場させた[5]。
私生活では、2000年にパートナーの男性と結婚式を挙げて注目された[6]。
死去 [編集]
2010年2月11日に死亡しているのが発見された[1]。満40歳没。死亡の発表は同日の午後に行われた。朝、グリーンストリートに面した自宅で亡くなっているのを、家政婦が発見した。
マックイーンは母親をロンドン・ファッションウィークの数日前に亡くしていた。イギリスのタブロイド『サン』はマックイーンが首吊り自殺をしたと報じたが、これは正確な情報ではなかった[7]。警察は事件性はないと述べた、しかし、自殺であったかどうかは確認していない[8]。
アレキサンダー・マックイーンの事務所は公式サイトに「リー・マックイーンの家族に代わって、アレキサンダー・マックイーンの創設者でデザイナーの リー・マックイーンが遺体で発見されたという悲劇のニュースを発表する。我々はショックと悲しみをリーの家族と共有している現段階で、この悲劇のニュース にコメントすることは不適当である。リーの家族はプライバシーを求めた。我々はメディアがこれを尊重することを望む。」という声明を発表した[9]。
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